山里通信
木もれ日だより(以前のもの)

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2009年11月 【今年も収穫の秋】
 いよいよ11月を迎え、王林、ふじの収穫をお知らせする通信をお送りします。
 今年のりんごは、比較的おだやかだった夏の日差しを受け順調に育ちました。雨の時期が集中したため軸の部分にき裂のある実が例年より多めですが、ふじ特有のみつの乗りも良好で、例年以上においしいりんごに仕上がっています。幾度かの晩秋の冷え込みを経てりんごの色づきも急速に深まりました。村の小道を車で走れば、今は、もえたつような赤い実をつけた木々が山麓のいたるところに広がっています。 

【木もれ日農園では今年も低農薬栽培です】
 木もれ日農園では、今年も低農薬栽培を行いました。農薬の話を少し書きます。
 果樹栽培地帯では、毎年春になると、地域の農協や農薬店、県の農業試験場などが、「りんご栽培防除暦」というものを発表します。それには、どの時期にはどの農薬をどのくらいの量で散布するという指針が、こと細かく規定されています。ほとんどの農家がこれに従って、年間30剤以上の農薬を散布することになります。
 農家の側がそれに従わざるをえない事情もあります。毎年、様々な農薬が農薬メーカーによって新たに開発されたり、あるいは従来の農薬が特に理由もなく登録取消しになったりします。自分の判断で農薬を選んだり、昨年と同じものを使ったりすれば、結果として「禁止農薬を使ってしまう」ことになるおそれもあります。そのため、農家は「安全のために」ますます「防除暦」どおりに農薬を散布するようになってしまいます。
 近年、農薬の使用基準が厳格になってきていることが、かえって農薬の大量散布を固定化していくという皮肉な結果になっています。業者の側も、それに乗じてことさら新しく開発された高額の農薬を防除暦に乗せて使わせようとする傾向さえあります。
 木もれ日農園では、今年は通常の約半分の年間15剤の散布に抑えました。今の栽培体系ではぎりぎりの量で、あとわずか減らしただけで収穫が半減してしまうのですが、収量が安定してきたらさらに減らしていきたいという思いもあります。そんな試行錯誤がまだまだ続きそうです。

【そしてしっかりとした味のしっかりとしたりんごを】
 一般的なりんごの流通ルートで最も重視されるものは、味よりも外観です。ちょっとしたキズや汚れや色づきのムラによってりんごは細かくランク分けされ、値段に差をつけられて市場に送り出されます。また早く出荷するほど市況が高めなので、どうしても早めに収穫するようになってしまいます。せっかく産地で新しい品種が開発されても、完熟しないうちに先を争って出荷し、そのため消費者の評判を落として短期間で消えていってしまうりんごもあります。
 外国を旅行して、食料品店の店先にならぶ果物と比べてみれば、日本のシミ一つないぴかぴかのりんごがいかに異常かがわかります。木もれ日農園では、有期肥料だけを使った深い味わいのりんごを、じっくりと樹上完熟させて収穫するように心がけています。低農薬栽培のためにわずかの汚れがあっても、しっかりとした味のりんごなら選別は最小限にとどめ、みなさんにお届けするようにしています。
 そんな当たり前のことなのに、りんごの産地にいるとそれを実行することに不安があり、勇気が要る、いったいなぜだろうと思ってしまいます。
 
【りんごは特別なくだもの】
 様々な種類の果物が栽培されている北信州でも、りんごは特別な果物です。花が咲いてから実になり、収穫を迎えるまでの期間は、さくらんぼが 2ヶ月、桃が3ヶ月、ぶどうで4ヶ月なのに比べて、晩成種のふじ はなんと7ヶ月近くも樹上で完熟を待ちます。その長い時間の中から、りんごの味や香りは熟成されます。
 昔から、物語の中にりんごは数多く登場します。白雪姫はりんごを食べて倒れ、ディズニー映画では王子様のキスで目を覚まします。アダムとイブは、知恵の木の実、りんごを食べたことで楽園から追われ、人間としての歩みを始めました。近年、皮をむくのがめんどう、という理由でりんごの消費量が減っているそうですが、あわただしい現代の中でもそのくらいのひとときはきっと大切です。こちらでは早朝、まだ薄暗い山あいのりんご畑には霧が立ち込めています。朝日が射し込んで凍てつくような冷気が少しずつ和らぎ、動き始めたひとびとの気配とともに山村の一日が始まります。りんごとともにそんな村の息吹きをお届けします。


2008年11月 【今年も収穫の秋】
 今年も早や11月。時には凍てつくような朝の冷気の中でかじかむ手を温めながらの作業、時には汗ばむような陽気の中で上着をはずし、園の切り株にかけての作業。紅葉のとりわけきれいだった今年の秋も日一日と冬に近づき、収穫に向けて最後の仕上げを続けています。
 そしてこの寒暖の差の大きさこそがりんごの登熟をすすめます。「紅葉のきれいな年はりんごの色づきがいい」といわれているように、ここ数日の夜温の冷え込みでりんごの色はずっと鮮やかさを増してきました。ふじ特有の蜜の乗りも今のところ順調です。農薬を通常の半分程度に減らしているためにどうしても一定の量は病気や害虫にやられてしまうのですが、それでもひと月後にはきっとおいしい晩成種のりんごを皆さんの元にお届けできると思います。

【「農産物商品」と「食べ物」との間】
 今年も食品偽装のニュースが、飛び交い続けました。一番反響の大きかったのは、事故米の混入問題。被害範囲の止まるところをしらない広がりに、「高くてもいいから安全な食品を」という声はこれまで以上に高まりました。その影響もあってか、今年の木もれ日農園の新米は瞬く間に完売だったのですが、ふと、こんなことでほっとしていていいのか、という思いに駆られます。
 「農産物の自給率を上げよう」という掛け声とはうらはらに、農産物は「食べ物」よりもまず売り買いされるための商品として扱われるようになってしまいました。かつては「お百姓さんの苦労を思えば一粒の米もムダにしてはいけない」とよく言われたものです。しかし当節の農民の気持ちはその逆で、「あのバブルの時代のように残った料理を惜しげもなく捨てる世相に戻ってくれたら、農産物の価格低迷から少しは抜け出せるのに」というものだそうです。
 農産物は、株式と同様に市場で取引され、景気や消費動向に応じて株価以上に乱高下する商品になっています。あまりにも隔たってしまった、「食べ物」と「商品」との溝を埋めていかない限り、食の危機はこれからも続いていく気がします。

【家庭菜園のすすめ】
 農産物を私たちの暮らしに近づけていくために、家庭菜園に取り組んでみるのはいかがでしょうか。近年はやりの市民農園を借りてみるのもいいし、庭やベランダに小さな畑を作ってみるのもいいと思います。野菜の中には栽培の難しいものもあれば、簡単なものもあります。地域一帯がその品種の単作地帯である産地よりも、都会の方が病害虫の密度が少なくて育てやすい場合もたくさんあります。きゅうりやかぼちゃなどは1本植えるだけで、家族で食べきれないほどの量がとれます。軌道に乗ってきたら、あなたもすでに「兼業農家」です。
 そんな大それた、と思う人が多いかもしれませんが、農家である公式認定基準は「年間90日農業に従事すること」です。土日の休日を使えばそれは十分にクリアしてしまいます。出勤前や帰宅後にちょっと手を入れるようになれば、もうりっぱな「農民」です。収入になっているわけでもないのに、と謙遜する人もいるかもしれませんが、農業収入ゼロの兼業農家もたくさんあります。実はそんな農家群が、日本の農業の基部を支えています。
 「たとえ高くても安全な農産物を、」という安全志向の高まりや、「自然の恵みである農産物はすばらしい」、といった農業ロマンチシズムだけでは、食べ物と商品との隔たりはなかなか埋められない気がします。それよりも普通の暮らしの中に農業の光景や農業の感触が身近にあることのほうがずっと大事なのではないでしょうか。そのために私たちも何か出来れば、と思います。

晩秋の山々に】
 ・・・それにしても、山手の畑から振り返る晩秋の山並みには心を打たれます。昼間の柔らかな日差しを浴びて輝く千曲川対岸の優しい稜線は、スコットランドの大地の起伏を思わせます。一転して曇天の夕暮れに、無彩色に少しずつ微妙な色相を交えながら幾重にも重なり合って浮かび上がる山々のシルエットは、アジアの墨絵の世界を彷彿とさせます。いずれもふと異国にいるような錯覚に襲われる至福の瞬間です。


2007年11月 【収穫の秋】 
 前回も書いたように、今年の夏の暑さはとにかく異常でした。おそらくその影響のため、中生種のりんご(10月に獲れる千秋、紅玉)は、まだ色も赤くそまらないうちからかなりの量が落果してしまいました。とくに千秋は収穫量が例年の半分以下になってしまい、ご迷惑をおかけしたところがたくさん出てしまいました。
 最近は世をあげて地球温暖化対策がうたわれています。それはそれでいいことなのですが、「温暖化」というと、「どこかまだ将来のこと」といった響きがつきまといます。しかしここ数年の気候を思い出せば、すでに「気象の極端な変化」という形で生態系の異常は(とっくに)始まっているというのが農業に携わっている者の実感です。仲間の農民との会話の中にも、これからの農業についてのそこはかとない不安がいつも顔を出します。
 ・・・それでも晩成種のりんごの生育は一転して順調です。この地域には昔から「日照りに飢饉なし」という言葉があります。山々の紅葉と併せて、りんごの実も日に日に色づきを増し、特有のふじの蜜(みつ)も、もう乗り始めています。今は最後の収穫準備に追われる毎日です。

【村から弥生時代の銅戈(か)が発掘】
 新聞やTVのニュースでご存知の方も多いと思いますが、ここ柳沢遺跡で約2000年前の弥生時代の遺物が出土しました。場所は千曲川の堤防工事で民家が立ち退いた跡地。「東日本

で始めて」というまとまった数の銅戈(長さ30cmぐらいの銅の剣先)や銅鐸が次々と発掘されました。遺跡は我が家からなんと数百メートルの場所で、過疎化が進行する山間の村が一気にあわただしくなってきました。
 報道によると、これまで九州から東へ東へと伝播していったと考えられてきた弥生時代の遺物が今回いきなり東日本で発見されたことで、日本海を経て直接信州に伝わったルートも考えに入れる必要が出てきたそうです。日本の古代史が再びダイナミックに展開するのでしょうか。

【農水相に続く不祥事】
 今年の春から政治の変転がとまりません。その中心に座り続けるのは農水相の不祥事です。農業従事者としては複雑な思いですが、その背景は痛いようによくわかります。衰退しつつある産業とされる農業はすでに自前の競争力を失い、地方農政の要(かなめ)は「いかに効率よく多額の補助金を中央から引き出してくるか」にあるといっても過言ではありません。いきおい政治の構図はゆがみ、癒着や腐敗が忍び込みます。農民の誇りなどは、あとかたもなく打ち砕かれ踏みつけにされていきます。
 村に住んでみると、農民の中に根付く手作りの文化に驚かされます。木の枝を燃やして途中で水をかけて消し炭をつくり、一冬の掘りごたつの燃料にします。農業機械や運搬車などはたいてい自分で直し、小さな納屋や倉庫は自分で建てます。豆を栽培して自前の味噌や醤油をつくり、山間部の畑の石垣を自分で積み、都会から訪れる登山客のために山道を整備し谷川に自分たちで橋をかけます。農業は自立できず都会からの援助で生きていると言われることがありますが、本当にそうなのかと常々思います。もしかしたら最も自立した生活を送っているのは農村のほうかもしれません。

【須賀川村で112年前のグランドピアノが復元】
 須賀川というのは、この農園のある高社山のちょうど反対側にある小さな集落です。大正12年、この村の小学校で世界でも高級だったドイツ製のブリュートナーグランドピアノを地域をあげて購入。それが長年物置の片隅に放置されていたものが今回発見、復元され、11月の初めに地域の音楽家の野田純子さんによって披露演奏が行われました。
 ピアノは112年前にドイツのライプチヒで作られたもので、その時の価格は623円。家が3軒分建てられる金額でした。当時須賀川は貧しい地域で、高価な楽器を買う余裕などあるはずはなかったそうですが、子どもたちの音楽教育のために無理を押しても購入したそうです。
 演奏会では金色の留め金に縁どられた黒光りするピアノに、山間の村の高い志と辺境とされた地域の意地のようなものを感じました。その時代は鉄道もなく、ピアノは馬車で山道を運ばれたそうです。


2006年11月 【いよいよ収穫の秋】 
 今年最後の「木もれ日だより」をお送りします。お米の脱穀も終わり、秋は一年を通じた農作業の集大成の時期。果物の出来具合は年によって様々ですが、今年のりんごは色づきもよく、ふじの蜜の入りも順調で、村ではみんなの期待が高まっています。今は葉摘み作業に追われながら、王林の収穫が平行して始まろうとしているところです。


【いくつかイベントをやりました】 

 全号でお知らせしたように、9月にシンガーソングライターの野田純子さんを招いて、みんなで作ったログハウスの庭で野外コンサートを開きました。新聞やTVでも大きく取り上げられ、150人以上の地域の人たちが集まりました。この日は少し曇り空。さわやかな9月の風が吹く中、山麓に野田さんの歌声が響きわたりました。

 10月には、この地域に暮らしている外国出身の人たちとの「国際交流パーティー」を開きました。地方の町にも今はたくさんの外国の人が暮らしています。中野市にも、近隣の観光地にダンサーとして入国してきた人や、研修生として働きに来ている中国の人、出稼ぎに来ている日系ブラジル人、農村の嫁として移り住んできたタイやフィリピンの人など、10カ国500人以上の人たちが住んでいます。その人たちと、母国の歌や踊りを披露したり、お互いの国の料理を楽しんだりするひとときを持ちました。
 私たちもいわば「移り住み組」ですが、こんな風に地域の人たちと共同で、様々な企画に取り組むことも少しずつ増えてきました。

【松本キミ子さんの講演会も好評】
 この夏、芳美が地域の公民館でキミ子方式の絵の教室を開きました。松本キミ子さんは、個性的な絵画指導、絵画教育で有名ですが、秋にこの村で講演をしていただきました。前の日は地域の仲間と、絵画についての様々な話を夜遅くまでお聞きしました。
 早朝の散歩で、ネコジャラシにいくつか種類があることを語り、帰り際に、傷んで捨てたリンゴをじっと見つめ、庭のアカマンマをお土産にもって帰ったキミ子さんの姿が印象的でした。


2005年11月 【いよいよ収穫の秋】 
 自然の中で連日仕事をしていても、季節の移り変わりはいつも不意にやってきます。今日は突然に訪れた凛とした肌寒さの中で早朝の農作業を行いました。今年の猛暑は果実の生育にはとても恵まれた気候で、秋口に収穫した巨峰はここ数年で最高のおいしさでした。9月の台風で何割かの果実が落下してしまいましたが、それはもう例年のこと。たわわに実った晩成種のりんごもあとは収穫を待つばかりです。

【村の共同性の中で】 
 昔から「隣百姓」という言葉があります。百姓はとりあえず隣と同じことをやっていれば、なんとか作物は取れるという意味です。(我が家も実は多々、そのお世話になっています。)
 農村は不思議な共同性の中を生きています。たとえば作物に被害があったり、体調が不良だったり、なんとなく最近仕事にゆとりが持てると感じたりしても、それが自分だけということがまずありません。どんなにこれは自分や自分の家だけのことだと思っても、周囲に聞いてみると驚くほどみんなが同じ状況の中に生きています。長年農家を続けている人に聞くと、少々作物が不出来でも特に心配はしない、といいます。きっと周りもみんなそうだと自然に思え、その中で考えていけばいい、とあわてずに考えられるそうです。
 同じ村の中で、同じ仕事をし、同じ時間を生きる。そんな暮らしの中で、誰もが同じ運命を生きているという感覚が自然に身についてくる。しばしば批判される日本人の過度の同調志向、同質志向も、そんな農業の歴史の中に形成されてきたのだろうと改めて思います。 
 昼近い時間に畑で仕事をしていると、12時きっかりに流れてくるはずの村の庁舎からの音楽が、その数分前にいきなり聞こえてくる錯覚におそわれることがあります。以前は、「早く昼にならないかな」という思いが空耳を生むのだろう、ぐらいに思っていましたが、もしかしたら、そのとき畑に出ている全ての農民が同様の思いにとらわれて、耳になじんだそのメロディをつい口ずさむ、そのかすかな声音が無数に集まって地域全体では大きな響きとなり、本当に聞こえているのではないか、と今ではひそかに考えています。(賛同者はゼロですが・・・)

【芳美 ー 私も順調に回復中!】
  6月のケガ以来、皆さんから暖かい励ましの言葉やお見舞いを沢山いただき、本当にありがとうございました。おかげで、日常生活がほとんどできるようになりました。
 右手が使えなかったため、片腕だけの生活をしてきましたが、キャップがまわせない、お茶碗が洗えない、洗濯バサミで挟めない、自分の髪が結べない(これは今もですが)等々。添える手がないと出来ないことの多さを日々実感(発見)するような毎日でした。
 何することも出来ずに過ごしていましたが、庭を眺めると花や実が色づきはじめ、とてもきれいな季節でした。当分筆はもてないと諦めていたのですが、誘われるように外に出ると「私を描いてみたら」と植物達に言われているような気がして、思いきって左手で絵を描き始めました。イチゴ一粒、蕾ひとつと、1日に小さなものをすこしずつキミ子方式という手法で描いてきました。
 今は、日常生活もだいぶできるようになり、絵を描く時間もなかなか作れなくなりました。てぐすねをひいて待っていた畑や日常の雑事に振り回され追われるような毎日で、元気になっていくありがたみを実感しながらも、1日ひとつふたつの事だけを時間をかけて、丁寧にやっていた数ヶ月を懐かしく思っています。(感想:7月には近所の友だちも、脚立から落ちて、同じく右手を骨折してしまいました。やはり村の共同性?)


2004年11月 【台風、風害、水害・・・】 
 果樹栽培をしていれば、何年かに一度はどうしても台風の被害を覚悟しなければなりません。ましてや今年のように、これまでの台風の日本への上陸回数の記録を大きく上回る10回もの来訪があれば、なおのこと避けようがありません。
 数回の台風の上陸をぎりぎりのところでかわし続けてきたこの地域も、ついに9月末の台風18号にはつかまってしまいました。来襲の翌朝、りんご園を回ってみれば、多数のりんごが落下、わずかに色づき始めたりんごの約3割が失われてしまいました。これもりんごを作るという営みの中の一つ、と10年もたてば少しずつ解かってきたかもしれません。

【朝方、水はまだ・・・】 
 さらに今年はそれにとどまらず、各地に多数の被害を出した台風23号が追い打ちをかけるように当地を襲いました。心配していた風はそれほどでもなく、10月20日未明に雨も小降りになってひとまず安堵感が漂い始めた頃、逆に村境を流れる千曲川がじわじわと増水を始めました。川の上流に降った雨は流域の斜面を流れ時間差をもって本流に流れ込み、数時間後に下流地域の増水をもたらします。見る見るうちに水は河川敷を超えて川沿いの民家に達し、道路や橋は冠水して交通が遮断され、果樹園や住居が次々と水にのまれていきました。
 我が家のりんご園はすべて山の中腹にあるため無事でしたが、脱穀を終えて田に積んであったワラは全量が流され、低地にある果樹園では数メートルもあるりんごの樹が梢まで水没。水は堤防沿いの家屋に容赦なく流れ込み、部落内では逃げ遅れた人たちを運ぶためにボートも出動しました。
【姿を現す村の防災体制】 
 昔から幾度も水害を経験してきた村では、こんなとき直ちに防災体制が組織されます。担当役員には未明から招集がかかり、警戒地域では消防団の活動が開始され、自主的な交通規制がひかれ、婦人会の炊き出しが続々と寄せられていきます。水の迫った家々では、避難勧告をぎりぎりまで拒みながら、農業機械を安全な場所に移し、家具や畳を高いところに上げて守り、
必死の努力を終えた後にようやく公民館や近くの親戚の家に身を寄せていきます。翌日は村中総出で被災家屋や流失した田の稲の片づけ。この地に移り住んで11年目の我が家も、今年は村で5軒ある担当役員の一人として、数日間走り回りました。

【それでもやってくる冬】 
 台風が去ってしばらくたてば、それでもまたいつものような日常の村の生活が戻ってきます。中越地震もこの村にはそれほど被害を及ぼすこともなく、人々は最後に残った作物の収穫準備に追われ、慌ただしい日々を送ります。
 奥志賀の山麓一帯をみごとに染め上げた紅葉が、奥志賀から志賀高原へ、村を見下ろす高社山を経て近くの里山へと一ヶ月間かけて降りてくれば、木枯らしが吹きはじめ今年も後は雪を迎えるばかり。心に一年間の思いを様々に去来させながら、晩秋の山里では農民はみな詩人になります。特に詩を書くわけではない、ただ詩を生きるようになります。

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